27日 右から赤菊芋(橙色で囲んだ菊芋)。白菊芋(黄色)。赤菊芋(灰色)である。3種類のように見えるが、右と左の色が違うのは、成長の遅速によるもの。左側の菊芋の茎も遅早(おそかれはやかれ)黒くなる筈である。
早咲きの紫菊芋。茎の色に然したる変化はない。これで3種類。
4種類目の遅咲きの紫菊芋も同じ。この2m80㎝の紫菊芋は満開状態。ところが同じ背丈なのに、全く花の咲かない紫菊芋が7本ある。そのうちの1本が後方の紫菊芋である。
反対側から見る。
蕾が一つもない。昨年も蕾の付かない紫菊芋が何本かあった。そのときは然したる思いもなかったが、今年も咲かない菊芋があった、そこで思ったのが、来春も植えれば増えるだろうということ。花の咲かない紫菊芋は風情がない。しかし種の拡散を防ぐことができる。味も違うかも知れない。増やす価値がある。
71歳。喉と舌の癌、肝臓病と喘息、脳梗塞と脳腫瘍、花粉症と白内障、その他複数の病気を抱える身。例え健康であっても生きているからには、「定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候。我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候(真田信繁の辞世の句)」だ。『一寸先は闇』。明日のことも分からないのに、『来年の事を言えば鬼が笑う』ことになる。
しかし、2017年に105歳でお亡くなりになった聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんは、2011年(99歳)から10年手帳を使っておられた。テレビで話しておられた。併せて哲学者のマルティン・ブーバー(墺)は「人は、新しいことを始めることを忘れない限り、いつまでも若い」の言葉も紹介しておられる。生あるものは必ず死ぬ。しかし魂は不滅。輪廻転生もある。この意気込みは老いたる者の鑑だ。
聖路加国際病院には恩がある。1982年(昭和57)に父が亡くなると、気落ちした母が認知症のような状態に陥った。その時、叔母と姉の協力で聖路加国際病院に入院し改善した。
※『来年の事を言えば鬼が笑う』
明日何が起こるかわからないのに、来年のことなどわかるはずはない。将来のことは予測し難いから、あれこれ言っても始まらないということ(デジタル大辞泉)。
早咲きの紫菊芋。茎の色に然したる変化はない。これで3種類。
4種類目の遅咲きの紫菊芋も同じ。この2m80㎝の紫菊芋は満開状態。ところが同じ背丈なのに、全く花の咲かない紫菊芋が7本ある。そのうちの1本が後方の紫菊芋である。
反対側から見る。
蕾が一つもない。昨年も蕾の付かない紫菊芋が何本かあった。そのときは然したる思いもなかったが、今年も咲かない菊芋があった、そこで思ったのが、来春も植えれば増えるだろうということ。花の咲かない紫菊芋は風情がない。しかし種の拡散を防ぐことができる。味も違うかも知れない。増やす価値がある。
71歳。喉と舌の癌、肝臓病と喘息、脳梗塞と脳腫瘍、花粉症と白内障、その他複数の病気を抱える身。例え健康であっても生きているからには、「定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候。我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候(真田信繁の辞世の句)」だ。『一寸先は闇』。明日のことも分からないのに、『来年の事を言えば鬼が笑う』ことになる。
しかし、2017年に105歳でお亡くなりになった聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんは、2011年(99歳)から10年手帳を使っておられた。テレビで話しておられた。併せて哲学者のマルティン・ブーバー(墺)は「人は、新しいことを始めることを忘れない限り、いつまでも若い」の言葉も紹介しておられる。生あるものは必ず死ぬ。しかし魂は不滅。輪廻転生もある。この意気込みは老いたる者の鑑だ。
聖路加国際病院には恩がある。1982年(昭和57)に父が亡くなると、気落ちした母が認知症のような状態に陥った。その時、叔母と姉の協力で聖路加国際病院に入院し改善した。
※『来年の事を言えば鬼が笑う』
明日何が起こるかわからないのに、来年のことなどわかるはずはない。将来のことは予測し難いから、あれこれ言っても始まらないということ(デジタル大辞泉)。
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