菫の種を採る

25日 昨春に植えた菫(すみれ)が庭の土に適合して増え続け、10m以上離れた範囲にまで広がっている。





 群れから数mも離れて、1本だけポツンと生えている菫もある。





 砂利を敷き詰めた所にも生えている。雑草的な強さである。





 飛んだ種から発芽したのだが、以前から種を採りたいと思っていたこともあり、種の採取を試みた。





 殆どの殻が開いており、これは駄目か半ば諦めたが、1個だけ殻に種が詰まっていて、10個採ることができた。




 妻に見せると、「見たことがあるよ」と言う。害虫の『泡立ち草軍配』のときと同様に妻は以前から知っていた。

 毎日のように洗濯を干し、「大家さんに庭の草取りをしてくださいと言われた」と言って、しょっちゅう草取りをしている妻ならではである。

 庭は結構風が強い。こんなに小さかったら、四方八方に飛ばされる。増えるわけだ。菊芋や青紫蘇(あおじそ)と比較すると、その小ささが際立つ。大きい種は菊芋。次が青紫蘇。小さい種がスミレである。大きさは1ミリ半ほど。





 私が植物の種を採取する訳は、2004年に越後から上州に転居したとき、木天蓼(またたび)や合歓木(ねむのき)の古木など数点の鉢植えも行動を共にしたのだが、瞬く間に枯れてしまったためである。

 上越国境の山(越後山脈)を越えると、気温や陽射し、乾燥、降雪量の違いなど、気候風土が劇的に変化したため、植物に負担がかかり、更に害虫の増加もあったりで、耐えられなかったと考えられる。毛虫の少ない越後と違って湧くようにいた。

 私自身も長岡駅から新幹線に乗り、国境のトンネルを抜けて高崎駅に降りたとき、あまりにも強い陽射しに暫く目が開けられなかったほどだった。住む家も揺らす、上州名物の『空っ風』は、『かかあ天下』と共に凄まじい威力だった。

 それは上信国境の山越えにも言えた。2014年に信州に転居。上州の空っ風をも凌駕する厳しい自然に驚愕した。土も凍る寒さと、指先まで皺ができるほどの乾燥、冬でも真夏を思わせる強い陽射し、更に高地特有の気圧の変動が、病を抱える老いの身には堪えた。

 特に気圧の変動が体に変調をきたす気象病には閉口している。私よりも敏感な娘は、毎日のように頭痛を訴え、年に何度か体調を崩し会社を休んでいる。2016年には1週間入院する羽目に陥った。越後や上州では考えられなかったことだ。

 信州人は人柄が良く、他所者を温かく受け入れてくれる懐の深さがあり、困っていれば手を差し伸べてくれる優しさもある。であって他人の暮らしに首を突っ込むようなことはしない思慮深さもある。とても住みやすい環境なので感謝している。

 更に諏訪大社や小野神社・矢彦神社、善光寺や戸隠神社、そして御岳などの聖地があり、絶景の日本三大山脈が県土を縦断して走る、ご神仏に守られた山里なのだが、上記の事情で長居はできない。

 私達は、転居すること(越後→越後→上州→上州→信州)計4回。各地を転々としてきた。事情は様々だが、上州からは逃げるが勝ち状態になっていた。

 マジャールに『逃げるは恥だが役に立つ』という諺があるというが、私達は、何も恥じることはしていないので、『逃げるが勝ち』があっている。仏典にも『縁なき衆生は度し難し』と書いてあるという

 娘曰く「今までは命を守るために逃げていたが、ここ(ご神仏に守られた信州に来て、その必要が無くなってきている。これからは生活のために引っ越す」。家族3人、安住の地を求めての旅は続いている。

 ずっと山間や山麓の暮らしが続いているので、次は温暖な海辺に住みたいというのが、我が家の願望になっている。そのため、家計を支える娘がお金の稼ぎ方に試案する日々である。

 だが、もし移住出来たとしても、気候・風土、住む環境や人柄の違いなど、想定外な事象に面食らうことも度々だろうが、それでも気象病に悩まされ、隙間だらけで、心身ともに凍る、家賃の高い借家に住む現在よりは増しだろうと思っている




※上掲は昨年の7月12日のスミレの写真。もう殻が開いている。

コメント