大きな力に導かれて木曽路

25日 2、3日前に記録帳を見た時、母方の高祖父が木曽路を通った云々の記述があった事を思い出し、再確認する。

 8月4日の項に『母方の高祖父が江戸末期に善光寺や木曽路、伊勢、高野山で宿泊したことを話し、そんな所に行ってみたいと言うと“ジーン(ゾクゾク)”とすると記してあった。これには理由がある。それは木曽行きの前夜に遡る。


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1日 夜、家族で団欒(だんらん)中、妻と娘が異口同音に「木曽には、お父さんも一緒に行ったことがある」と言う。(えっ)。

 以前は「お父さんは木曽に行ってないから、今度(体調のいい時に)一緒に行けたらいいよね」と言っていたのに・・・? 木曽の話をしていた訳でもなく、唐突に言い出すし、2人の記憶が真逆に変わるしで、面喰う。

「急にどうしたんだ? 木曽には行ってないよ。一番行きたいと思っている木曽に行ってたら、覚えている筈だよ」と応える。しかし、「でも、行ったよねえ」と2人は納得しない。「行った・行かない」の水掛け論になるので、話はそこで終わる。

 翌朝、「あの後、お母さんが(5年分の)家計簿の日記を見たけど、行っていないみたい」と娘。「行っていないから当然だよ」と応える。

5日 妻に「今でも木曽に一緒に行ったと思っている?」と聞く。「一緒に行ったと思っている」の返答。更に「(奈良井宿まで)一緒に行って、おとうさんは歩けないから(太鼓)橋の右側の所で待っていた。云々」と極めて具体的な話をする。





 更に「(娘も)お父さんと一緒に行ったと思う。でも、お父さんの記憶にないのなら連れて行ったほうがいいと思って、連れて行ったと言っている」と言う。

6日 娘に同じ質問をする。「一緒に行ったと思う」と応える。そして妻と同様な話をする。

 念のため、私が1995年以降、毎日記している記録帳で調べて見る。2015年10月23日に、妻と娘が辰野町小野から牛首峠を越えて奈良井宿に行っている。家族の木曽行きはこの1回だけ。

8日 妻に話すと「1回目ではなく、2回目に塩尻市内から木曽路に入り、奈良井宿に行った。橋の袂でおとうさんと話をした記憶がある」と言う。

 際限のない話になったが、唐突な「一緒に行った」という言葉といい、木曽路で『故郷』の曲が聞こえていた事といい、更に神社に参拝したこと然り、何か大きな力に動かされていたように感じた。

 信州には『牛に引かれて善光寺参り』の昔話がある。もしかして、小野神社・矢彦神社のご利益か、又は母方の高祖父が導いてくれたと思わざるを得ない木曽路だっだ。


位置住所座標

木曽の大橋(太鼓橋)
長野県塩尻市大字奈良井1343(付近の家)
35.965949,137.814264

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