◎台風19号の襲来で避難寸前に

13日 『避難しました』。この文字は、12日の夜に娘が書いたもの。玄関のドアに貼っておけば、救助隊が来ても分かるだろうが理由。それだけ切羽詰まった状況にあった。


 午前7時40分、激しい風雨。川の水嵩が増している。8月20日と同じ水位になっている。なぜ分かるのかと言うと、対岸のブロックの数が目安になっている。ここまで水位が上がったのは、信州に来て3度目である。


 11時49分、風雨の最中をヤマト便が来る。姉から米が届く。電話をすると、親戚が送ってくれたものを、そのまま送ったとのこと。都心も台風対策で大変らしい。嫁いだ娘が来て窓ガラスにテープを張ってくれたとのこと。町内の災害対策委員長を務めている。73歳。都心にも若者はいないようだ。それにしても役に立つのか?


 午後3時50分、庭の菊芋が風雨で激しく揺れている。


 川の氾濫に備えて、妻と娘が1階の物品を2階に上げる。


 暴風雨が続く。川への放流や増水を告げる釜口水門の放送が切れ切れにしか聞こえない。


 非常持ち出しの貴重品などはリュックやバックに入れ、いつでも避難できるように玄関に置く。


 1階の物品を2階に上げる。仏像や仏具なども上げたため、仏壇がガランとする。


 11時過ぎ迄、濡れたら困るものは全て2階に上げる。


 神棚も上げた。


 移動が終わった頃、外が静かになった。私は足手纏いになるので、殆ど手伝っていないが、気持ちだけで疲労困憊の体。2階の広い部屋に布団と炬燵を上げてもらい、日付が変わってから就寝。月夜になっていた。


徒労に終わった感が強いが、大掛かりな避難訓練と思えばいいのだろう。

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