8日 娘と妻は昨日も訪れ菊芋を購入している。そこで足湯の存在に気づき。今日また来たという訳である。
園内の桜が満開だった。残雪の経ヶ岳が見える。
店内を通り抜けると足湯がある。
これは広い。
木の蓋を開けると湯気が上がる。
最初は少し熱いほどに感じたが、次第に心地よくなる。25分ほど足湯を楽む。お陰で体の芯までポカポカ。
東のほうの杉の間から3000m峰の仙丈ケ岳と間ノ岳が見える。まさに絶景の足湯だ。「とってもいいお湯でした」。3人とも大満足。
大きな人造湖があった。大芝湖だ。池の周囲の桜が満開でとても綺麗だった。マガモのオスが近づいて来たが、餌をくれない人だと察すると数メートル手前で止まり去って行った。
他にもメスが数羽いた。みな丸々と太っている。餌づけしているのか、観光客が与えるのか分からないが、いずれにしても水鳥にとって居心地の良い場所なのだろう。
真鯉と錦鯉も近づいて来た。錦鯉と言っても、紅白(こうはく)や三色(さんけ)のような派手な種でなく、しぶい浅黄(あさぎ)種なのでくすんでいて目立たない。
錦鯉の原産地である二十村出身なので品種については略分かる。小地主だったので代々趣味で錦鯉を飼っていた。最盛期は大小の池が11個あった。餌やりが私の仕事だった。錦鯉ブームの最中には、最高年間80万円売り上げたこともある。
父親が国家公務員兼農家兼鯉師(こいし=養鯉業)の三股だったので、その程度で喜んでいたが、年間売り上げが数百万円という鯉師が結構いた。現在だと1000~3000万になるだろうか。数千万という鯉師も何人かいた。億越えだ。最高は2億円を越えていた。1000万円の豪邸がそこかしこに建った。二十村だけの現象だった。だからうちの収入など屁のような話になる。昭和30~40年代の話である。
蛇足だが、2億円を稼いでいた人は、ボストンバッグいっぱいに1万円札を詰めて納税したという。何故分かったかと言うと、村の商工会の職員が代理で税務署に持ち込んだからである。その人が「あんなに多くの1万円札は初めて持った」と親しくしていた私の父親に漏らしたからだ。
因みに2億円越えの大鯉師(おおごいし=大規模養鯉業者)は、その2~3年後に没落し離村した。なぜかというと、小千谷祭りにあわせて市内の芸者を買い上げたりして豪遊したからである。当時は長岡殿町などの歓楽街では“ゴム長靴を履いた男”がモテた。ゴム長靴を履いた男=鯉師=金持ちを連想させるからである。
おっ、今度は頭を擡げた魚がやって来た。と、思ったら亀だ。色合いからして在来種のニホンイシガメのように見えるが、これも餌がないと察すると去って行った。
桜と白樺が綺麗だった。
直売所に戻る。赤菊芋2袋と白菊芋が1袋売れ残っていた。
「全部買おう」で即購入。
※位置(名称・住所・座標)
信州大芝高原
長野県上伊那郡南箕輪村2358-5
35.886681,137.943708
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